人生をゆたかにするゲームを考察する

攻略後3日はレビュー巡って同志探し・好きな人を抱きしめたくなる・人生の教訓を得られる・つくったクリエイターに花束を贈りたい。そんなゲームをやってみたらみんなにシェアします。一緒に考察してください。

【レビュー・感想】The Stillness of the Windをクリアしたら、人生について考えた。

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【追記:3つ目のエンディングを見つけてしまいました…!くわしくは「エンディングが変わった?」の章で…】

2019年2月7日に、「The Stillness of the Wind」(訳:風の静けさ)というゲームがリリースされました。

 

わたしは友人の みこがいくん から「今、限界集落のおばあちゃんのゲームしてるんです」と聞いて、「一体それはなにをしているの」とくわしく聞いていったのがこのゲームを知ったきっかけでした。

 

話を聞いていると最初は「農業ゲーム」「スローライフゲーム」みたいな感じなのかと思ったのですが、「おばあちゃんの“最期の時間”を体験する」という要素のゲームだと知り、おもしろそう!(奥深そう!)と思い早速ダウンロード。

 

感想としては、ほんとうにやってよかったです。まるで一冊の小説を読んでいるような没入感。Nintendo Switch版でやったのですが、1200円ちょっとでここまで心を揺さぶり、苦しくなり、同時に美しさも与えてくれたこのゲームのクリエイターに感謝します。

 

ひとりでも多くの人にこの感動の体験をしてほしいので、以下感想を残します。

おもしろいところはぜひ体験してほしいので細かくは書きませんが、ネタバレも一部含みますので、事前知識なくプレイしたい方はここからは読まないことをおすすめします。

 

ec.nintendo.com

 

store.steampowered.com

 

 
The Stillness of the Windはこんなゲーム

基本となるストーリー

舞台は砂漠の中にポツンとある一軒の家です。住人は、タルマというおばあちゃんひとりだけ。昔は親族に囲まれて暮らしていたそうですが、みんな他の町に行ってしまったみたい。ヤギやにわとりが敷地内にいます。

ゲームは、朝起きて、夜寝るまで、1日1日をただ過ごしていくことで進んでいきます。

・ヤギからミルクをとってチーズをつくるのもよし

・にわとりが産んだたまごをとるのもよし

・畑を耕して種を植えて水をやって育てるのもよし

・家の敷地から出てちょっと遠くまで歩いていろんなものを探すのもよし

・特になにもせず散歩するのもよし


自分のしたいことをただしたらいいと思います。

 

行商人たろべぇの存在

タルマの家に訪問してくる行商人がいます。ゲーム内で名前は出てこないのですが、プレイする前にYouTubeでこのゲーム実況をされていたソーシキ博士さんが、すごくナチュラルに「たろべぇ」と呼んでいたのでわたしもそう呼んでいます。

たろべぇは、いろんなアイテム(ヤギのごはんとなる干し草や作物の種、動物、暮らしの道具など)をタルマが持っているもの(ヤギのミルクでつくったチーズやたまごなど)と交換してくれたり、タルマ宛の手紙を配達してくれます。ちょっとした立ち話も。タルマが唯一会話する人間です。わたしも毎日たろべぇが来るのを楽しみにしていました。

 

1日はとっても短い

おばあちゃんであるタルマはとても歩くのが遅いし、1日でできる仕事の量もとても限られています。畑に水をやろうと敷地のちょっとだけ離れた外にある井戸に水を汲みに行って、作物に水をやったらもう夜、というのが通常でした。ちなみに夜になるとあたりは真っ暗で、なにか作業しようとしてもよく見えません。(みこがいくんは、「アイテムとたろべぇが持ってくるランタンを交換したら家のまわりが明るくなった」と言っていました)

 

親族からの手紙

たろべぇが配達してくれる手紙の差出人は、タルマの親族たち。タルマの家から出て町で暮らす人たちが、それぞれの想いや今生きている世界のことを綴ります。シンプルに生きるタルマの世界とはまた違う時間軸を感じさせる手紙ですが、わたしは正直どんな気持ちで読んだらいいかちょっとわからず、細かい内容までは頭に入ってきませんでした。強い愛を伝えてくれている手紙もあれば、不安や心配を煽る手紙もありました。でもきっとタルマ自身はみんなからの手紙を読むことは、楽しみだったのではないかなと思います。

 

「死」がテーマ

のんびりと過ぎていく日々ですが、でも確かに少しずつなにかが変わりながらゲームは進んでいきます。手紙の内容や、動物たちなどの状態、気候などが少しずつ“最期”に向けた空気をまとっていきます。タルマの最期に近い日々の描写は、それはもう胸をギュッと掴まれるような描写・展開・グラフィックがあり、心臓がドキドキするのを感じながらプレイしてました。タルマが見る夢?のようなモノクロの描写もたまに出てくるのですが、ホラーとまでは言わないまでも正直ちょっと怖かったです。(わっ!と急に驚かされるようなことはないです)

プレイする前にYouTuberのソーシキ博士さんのおもしろい実況を観ていたので、それがプレイ中の怖さを軽減してくれたのかもしれません。少し怖がりの方は一度この実況を観てからやってみるといいですよ。

youtu.be

 

美しいグラフィック

見た目に可愛く、統一されたカラーで彩られる世界観は見ていてとても綺麗でした。家や、チーズを作る小屋に入ると室内にフォーカスされますが、それ以外は基本空撮アングルです。ヤギもパッチワークみたいな柄でとてもかわいい!

 

1回きりが基本?

このゲーム、複数のセーブデータがつくれない仕様で、1回クリアすると最期の自動セーブ地点(タルマの最期の日の前日)からしか再開できません。Nintendo Switchだと1アカウントで1回しかプレイできないのが基本的な考え方なのかも。ちなみにゲームは3〜4時間で完結します。

 

 

The Stillness of the Windの感想

1回しかクリアしていないので確かなことはわかりませんが、このゲームはおそらく「タルマが死なずに生き続ける」というエンディングはないのではないかと思います。その最期の日に向けてどう生きていくかという“生き方”には様々な選択肢があり、プレイヤーに委ねられています。なので以下は、「わたしはこんな風に生きたよ」ということとそれを経て考えたことや思ったことを感想として綴ります。

 

「生きよう」とした

わたしは、ゲームスタートから、にわとりの卵も毎日欠かさず取って、畑も耕しました。「ヤギにごはんをやらないと」とたろべぇが持っている干し草欲しさにヤギのミルクをとっては交換用のチーズをつくりストックしました。毎日やることがいっぱいで、でも1日が早いからなんか妙に毎日焦ってました。早く早く!って。途中でたろべぇから雄ヤギをもらって子ヤギを増やし、その分ミルクをたくさんとればたくさんチーズができて…となんといいますが繁栄に向けてがんばってました。よりよく「生きたい」という想いで。

でもゲームを終えて思ったのは、周りを充実させてよりよく生きようとするのではなくて、「死に向けて身の回りを整理していく」という考え方でよかったのかもということでした。たとえば、早い段階でヤギをたろべぇに渡してしまえば、餌の干し草のためにミルクをとってチーズをつくるという1日の大仕事を手放せたわけです。にわとりさえいればたまごを産んでくれるので食には困りません。(にわとりに対しては餌やりなどの仕事はなかった)仕事を手放したら、その分もっとタイトルどおり“風の静けさ”を感じれたのかもしれません。

 

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少しずつなにかを失っていく喪失感

わたしが最初に失くしたものはヤギでした。たろべぇが来ない日もあったり、来ても干し草を持っていない日もあったりと悪いタイミングが重なり、途中でヤギが死んでしまいました。ヤギがみんないなくなると、「この家からヤギがいなくなる日が来るなんてな…」なんてたろべぇが言うわけです。いつのまにかにわとりの姿も見なくなって、取れる食料もなくなって、薪がなくなって…(みこがいくんは、ストックしていたチーズが腐ったとか)。そして、最期の日の前日にもタルマはある大きなものを失います。

「失われていく」怖さや不安を、空の表情がよく表現していて、だんだんと晴れの日が減ってきて曇り、雨が降り、ありとあらゆるものがなくなっていく日は前が見えないほどの大嵐。最期の日の予兆をなんとなく感じながらプレイしているあの1分1秒の時の移ろいや胸の苦しさは、実際にプレイしないと絶対に感じられないものです。このあたりでもうわたしはほんとうに心臓がドキドキしていたし、「よくこんなゲームつくったな」と感動とクリエイターへの嫉妬が大きく渦巻いていました。

 

このゲームのグラフィックは、“最期のその日”が最も美しい

タイトル画面やプレイ画面で、そのグラフィックの美しさは確認できますが、最も美しいのはタルマの最期の日のグラフィックです。ヤギも、にわとりも、電柱も、カゴも、鍬も、水差しも、思い出も、全てを失ったその世界をただただ美しく表現したことは、死はイコールただの恐怖ということではないということを示唆させるようでした。そのセンスに脱帽です。ぜひプレイして観てほしいです。

 

タルマには表情がない

タルマの顔には、目・鼻・口などのパーツは描かれていません。なにかものを調べたりすると喋ることはあるのですが、調べたものの状態をただつぶやくだけで、自分の気持ちを話すということはなかったように思います。プレイしたあと、なぜ表情や感情表現がなかったのか、意味がわかった気がします。タルマがどんな気持ちで死んだのか、彼女は死ぬことが怖かったのか・怖くなんてなかったのか、それはプレイヤーが「死」というものをどう考えるかによって変わってくるのだと思います。もしタルマに表情があって、最期の日に苦しい顔をしていたら死はただただ悲しいものになってしまいます。でも、もしかしたらタルマは微笑みながら、なにかあたたかい気持ちに包まれて死んだのかもしれない。その捉え方は、プレイヤーの人生経験によって左右するのだと思います。だからこそおもしろい。

主観ですが、このゲームはアラサー以上の人がプレイするとほんとうのおもしろさを感じられるように思います。子どもはしないほうがいいです。おばあちゃんが孤独に死んでいくという表面上の汲み取りに留まってしまい意味がわからず、ただただ怖がると思います。

 

プレイは1回でいい

1回クリアすると最後の自動セーブ地点(タルマの最期の日の前日)からしか再開できません。この演出もニクいなぁと思います。やり方によってはもう一度できますが、基本「もう一回やろう(次はうまく生きてやろう)」というゲームではなく、わたしももう一度したいとは今は思っていないです。たぶん、どのようにプレイし(生き)、どのような感情を抱いたかということが、自分自身の死生観であり、それについてプレイ後考えを深め続けていくことが、このゲームのほんとうの意味でのクリアなのだと思うのです。

 

エンディングが変わった?

1回クリアしたあと、もう一度再開したらどうなるんだろうとやってみたら、タルマの最期の日の前日からスタートしました。せっかくなのでと、1回目と少し行動を変えてみると、タルマが死んだあと出てくるモノクロの映像の様子が変わっていました(たぶん)。プレイヤーの行動でいろんなエンディングがあるのだとしたら、他のものもぜひ知りたいですね。

 

※追記

他のエンディングはないのか気になっていろいろ試してみたところ、恐らく超バッドエンドを見つけてしまいました…涙。 「死」に関する「超バッドエンド」なので、お察しの通りです…エンディングに近づくに連れ不穏を帯びてくる空気感から、プレイヤーも「その気」になってしまうようにできてはいるのですが、ああ、この展開を選べてしまうのは、ショックだ…。

ちなみに再度確認もしたのですが、わたしはこれで3通りのエンディングを確認できました。

 

まとめ

わたしは30代で、また自分が死ぬということにリアリティを感じませんし、死というものが怖いです。したいことがまだまだたくさんあるし、できたら楽しい時間を過ごして残りの人生を謳歌したい。そういう人間だから、タルマのまわりを楽しく賑やかにしようとしたし、タルマがなにかを失うたびに寂しくなったし、最期の日は悲しい気持ちになりました。もし自分が80歳・90歳でこのゲームをプレイしたのだとしたらどう行動しなにを思うだろうなと考えると、少しおもしろいです。最初から身の回りの整理をし始めるかもしれません。

生きる上でなにを大事にするのかということや、死への考え方は生きていくうちに変わっていくのだから、タルマが悲しく死んだのか、幸せに死んだのか、決めるのは自分自身。プレイ時間3〜4時間という体験の中で湧き上がってくる、自分の正直な死生観を受け止めて、明日からの生き方をちょっと前向きに考えれたら、きっとこのゲームに出会えた意味はある。わたしはそんなふうに思います。